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粟野宏
赤煉瓦、そして赤煉瓦造り書庫 
今月の話題(9月)


 私たちにとって赤煉瓦造りの建物は、「文明開化」や「近代化」の空気を感じさせるものです。
 西洋の人びとは、煉瓦と数千年間つきあってきており、現在でも煉瓦造りの住宅を建てる人も少なくありません。しかし、日本では煉瓦造りの建物はごく限られた時代につくられたにすぎません。
 実際、日本に煉瓦が伝わったのは、幕末安政年間の1857年のことだとされています。
 一方、1920年代には、コンクリートの普及にともなって煉瓦造りはほとんど建てられなくなります。煉瓦造りが建てられなくなったのは、よく関東大震災のためだと思われているようですが、それは俗説にすぎず、震災以前から低コストのためにコンクリート造りが建てられるようになったといいます。
 したがって、日本の煉瓦造りは「近代化遺産」にほかならないともいえるのです。
 
 現在、米沢市内に残る煉瓦造りの建造物といえば、五色温泉宗川旅館の倉庫を除くと、私にはもはや思いつきません。
 建物以外には、奥羽本線第二板谷峠トンネルの排煙用煙突(竪坑跡)、大沢駅の給水塔、北寺町の常夜燈、座頭町の酒屋の煙突など、いくつかの小規模な構造物が残るのみです。
 煉瓦造りの建造物は近年、峠駅の危険品庫(1998年解体)、旧春日町の堀立川そばに建っていた染織工場、米沢駅そばに建っていた旧米沢機関区の機関車庫(2001年豪雪で倒壊)と、次つぎに姿を消していきました。
 機関車庫の倒壊は、市内の仲間たちとともにその保存・活用を願っていた私にとっては、とてもショッキングな出来事でした。現場にはいって倒壊原因を調査し、各方面に報告する(最期を看取る)機会を得たことは忘れられません。
赤煉瓦造り書庫
 米沢に残っていた煉瓦造りの建造物で、工学部百年史にとって欠かすことができないのは、図書館の旧書庫でしょう。
 1913年(大正2年)に建てられたものですが、現在の図書館(附属図書館工学部分館)の増築工事のために、1999年春、解体されてしまいました。
 私は幸運にも、その前年、書庫の中にはいる機会を得ました。いまから思えば、もっと時間をかけて調査すればよかった、と後悔しています。そして、できれば移築してでも、本館とともに保存したかったと思います。
 書庫の外観写真が手許に残っていますが、煉瓦造りの便利なところは、煉瓦の寸法が基本的に標準化されていますので、その個数を数えることによって、実測せずに建物のおおよその大きさがわかるところにあります。
 写真から“測定”する限りでは、地面から軒先まで約100段の煉瓦が積まれており、その高さは6メートルになります。面積は4.7メートル四方で6.7坪ですので、総床面積は13.4坪です。

 私は1988年以来19年間、本学部にお世話になっています。
着任当初の「高分子材料工学科」(もうひとつ「高分子化学科」もあった)という看板は、「物質工学科」(高分子系)、「機能高分子工学科」と変遷し、2007年度教員組織は、「大学院理工学研究科」となりました。
 今回、米沢高等工業学校創立以来の伝統ある高分子系の部門史を担当することになりました。
 本コーナーに登場する次の機会には、ぜひ高分子系の話題を書きたいと思います。
 同窓生のみなさん、先輩のみなさん、よろしくお願いいたします。

粟野 宏(あわの ひろし)
大学院理工学研究科助教(有機デバイス工学分野)・附属博物館学芸研究員
産業考古学会評議員・国際記念物遺跡会議(ICOMOS)日本委員会委員

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