山形大学

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松田則男
奥羽線と米坂線,そしてSLの思い出
(2008年1月)

 2008年の幕開け,新年おめでとうございます。 本年もよろしくお願い申し上げます。また,100周年記念誌の編纂作業はこれから本番を迎えますが,資料や写真のご提供,原稿執筆の依頼等に際しましてはなにとぞご協力をお願いいたします。 
工 学部の建物も以前とはだいぶ変わりましたが,6号棟の6階にある研究室の窓からは,雪を被った吾妻の山々,近くには斜平の山並みをよく見渡すことができます。目を手前に転ずると,家並みの間に,時折米坂線を走るディーゼルカーの姿を見ることができます。ご存じのように,米坂線の線路は,南米沢駅から工学部の敷地を遠巻きにして,西米沢駅へとカーブを描き伸びているのです。 
 昭和43年4月,山形大学工学部に入学し,私は一年間,最寄りの赤湯駅から山形の教養部まで汽車通学することになりました。板谷峠は急勾配のために,大沢,峠,板谷,赤岩とスイッチバックが4駅も続く鉄道の難所であり,福島−米沢間は昭和20年代から電化されていましたが,米沢以北の奥羽線は入学の年の10月に電化されたのです。電化に伴い米沢付近の奥羽線から,SLの姿は消えてゆきました。 
 翌昭和44年からは,赤湯駅から南米沢駅まで国鉄を利用し,工学部への通学が始まりました。米沢駅で乗り換え,米沢〜南米沢間はたった一駅ですが,SLで通うことになったのです。しかし,工学部を卒業する年,昭和47年3月に米坂線のSLは廃止となり,SLでの通学はとても懐かしい思い出となってしまいました。 2008年1月22日 雪の斜平山(なでらやま)
 かつて奥羽線を走っていた上野発青森行きの普通列車は,上野を夕方7時半頃出発し,米沢到着は翌朝8時頃,そして米沢−山形間は通勤通学列車となっていました。青森発上野行きの奥羽線経由の夜行の急行「津軽」は,時には出稼ぎの人々の煙草の煙と津軽弁で溢れていました。また仙台−新潟間には,仙山線,米坂線経由で準急行「あさひ」が走っていました。これらの列車は,便利かつ安上がりであったため,学生時代に利用された方も多いのではないでしょうか。
  磐越西線の新潟−会津若松間には,近年春から初冬にかけて,毎週末SLが運行され,沿線は大いに賑わっています。機関車は会津若松駅で向きを変え,新潟へと戻って行きます。会津山都町(現在は喜多方市)の一の戸橋梁を渡るSLの姿と郷愁に満ちた汽笛は,人々の心を引きつけるものがあります。
 山形新幹線の開通に伴い奥羽線の一部は標準軌に変更され,山形線と呼ばれるようになりました。米沢駅に残っていた,明治後期に作られた転車台も撤去されました。東京へは日帰りが当たり前になり,便利な時代になったといえます。その反面,SLはおろか,奥羽線と米坂線,仙山線の乗り入れも不可能となりました。私たちは東京中心の利便性と引き替えに,多くのものを失ったようです。
  「米坂線の蒸気機関車」というWEBサイトがあります。山形大学工学部の卒業生が作られたものです。検索の上,ご覧になってみてはいかがでしょうか。あの頃の懐かしい風景が広がります。
松田 則男(まつだ のりお)
大学院理工学研究科准教授
機械システム工学分野

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