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神戸士郎
ライフラインから山形大学工学部を考える
(2008年9月)

 「山形大学工学部は、なぜ米沢にあるのですか?」と、米沢を来訪する人からよく質問される。ライフラインから山形大学工学部を考えると、この質問に答えられるかもしれない。米沢市水道部と共同研究をするうち、ライフラインが工学部の歴史に重大な関わりを持っていることを教えてもらったからである。
 ここで言うライフラインは電気・ガス・水道の供給システムで、現代の生活基盤を支えている。しかし100年前、それらはライフラインではなく、存在すらほとんど知られていなかった。先人は、いかにしてライフラインを整備し根付かせてきたのか。大学や旧制高校は、西洋先進文明を取り入れ中央から地方へ浸透させる配電盤/分電盤の役割を持っていたから 、ライフラインと山形大学工学部は深い関係を持っていて不思議ではない。
 米沢の電気の歴史は滝ノ沢(小野川)発電所で始まる。名君上杉鷹山によって、米沢の撚糸織物産業が盛んになった。明治後期にはそれがさらに発展、動力源としての電力が必要となり、米沢水力電気株式会社(米沢水電気)が発足した。山形県初の電力会社の誕生である。電柱が建てられ、電線が小野川から舘山、矢来、直峰経由で市内につながった。米沢新聞には、明治31(1898)年12月11日送電開始、市内電飾が明るく輝くと、見物人から大歓声が沸き上がり、人垣に押されて川に落ちる者もいた、と記載がある。日露戦争後の明治38(1905)年、官立高等工業学校の誘致が持ち上がると、山形県会は最適地を米沢に決定、文部・内務大臣へ請願書を提出した。米沢を選んだ理由として、(1)東北の工業中心地であり、(2)特に色染・紡織は盛んで他の追随を許さず、(3)動力源として水力発電会社が存在すること、があげられている。鷹山時代から続く東北の工業集積地としての地位、色染・紡織業の発展、そして電力会社の存在が、高等工業学校の米沢誘致に大きな役割を果たしたことが見て取れる。明治44(1911)年、米沢水電気は歴史的な役割を果たし、福島の伊達電力と合併、12年の歴史を閉じたが、早期に整備された電力インフラが山形大学工学部を米沢に呼び込む役割を果たしたことは間違いない。発電所は昭和42(1967)年まで東北電力小野川発電所として存続し、米沢に最初の電気を送った記念すべき発電機とタービンは、愛知県犬山市の明治村で公開展示されている。
 米沢の都市ガス事業は大正3(1914)年、「米沢瓦斯株式会社」の設立ではじまった。しかしながら、不幸なことに、大正6(1917)年の米沢大火で事業が頓挫。その後、現在に至るまで、米沢に都市ガスは整備されていない。 構内ガスタンク(昭和50年代)
そこで、工学部は独自にガス供給する道を選ぶ。創立初期は魚油を使ったガス製造を行っていたが、大正13(1924)年に石炭ガスに変更、昭和40年代にコンクリート校舎が増えてガス暖房が主流になり、ガス需要が急増した。この頃は、大型のガス貯留用のタンクが2台構内に設置された(写真1)。昭和50年代後半に入るとさらに需要が増え、貯留タンクでの対応が難しくなり、昭和57(1982)年、LPGを常時発生できる装置を導入し、貯留タンクは撤去された。平成20(2008)年にはカロリー変更を行って、供給効率を向上させている。エネルギー資源が高騰する中、効率的な都市ガス供給について、地域と大学が真剣に考える必要があろう。
 米沢の水道の歴史は舘山で始まった。国道121号線を市内から車で西行すると、約5分で米沢三中に至る。交差点で左折して小野川温泉方向に数分進むと、巨大な二つの円筒タンクが目の前に現れる。米沢市水道部舘山浄水場である。私はここで共同研究を行っているが 、浄水池の地下通路に入るとひんやりとした空気と歴史が感じられる。この浄水場は、米沢高等工業学校教授秦逸三による帝人米沢工場への給水を目的として、大正15(1926)年に設置された。工場は現在の米沢三中の敷地にあり、浄水場から給水が行われた(写真2)。写真左手前に延びるパイプが給水設備ではないかと思われる。昭和6(1931)年の工場の閉鎖によって浄水場も長期間放置されたが、戦後の昭和26(1951)年に再開、設備を増強し、現在8万人余りに上水を供給している。米沢の上水道のはじまりは、日本初の大学ベンチャー帝人の動静と一体であった。 帝人米沢工場
 ライフラインから山形大学工学部を考察すると、鷹山の産業振興→色染・紡織の発展→発電所建設→米沢高等工業学校誘致成功→都市ガス頓挫→帝人米沢工場建設→浄水場設置という歴史の流れが見えてきた。「山形大学工学部は、なぜ米沢にあるのですか?」という質問にも答えられそうだ。他のライフラインの鉄道、道路、下水、電話、インターネットに関する考察は、山大工学部の技術でリニアモーターカーが走り、スーパーインターネット網が整備された100年後の皆さんに託したいと思う。

1司馬遼太郎、本郷界隈―街道をゆく〈37〉 (朝日文芸文庫)
2神戸士郎、山口正廣、水口人史:日刊工業出版「環境浄化技術」6巻12号 p60?64
3目で見る80年史(米沢工業会発行)

神戸 士郎(かんべ しろう)
生体センシング機能工学専攻 准教授

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