山形大学

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なでら荘の思い出
(2009年1月)

 誰しもが忘れられない出来事や想い出を持っている事でしょう。私の若かりし時を刻んだ記憶に少しだけお付き合い頂ければと思います。

 高校を卒業し大学の門を潜った4月、校舎にはまだ残雪がありました。希望に胸を膨らませ、両手には緊張という大きな袋を抱えていた事を覚えています。現在、仕事の関係から、頻繁に出入りさせていただいています。春先の工学部の校舎に、当時の私と同じ学生諸君が右往左往しながら歩く姿を微笑ましく思って見ています。若い学生には夢があり、その夢に邁進できるよう心がけています。

 さて、「なでら」という名に覚えはありますでしょうか。工学部を正面に右手奥に平坦な丘陵を抱え聳え立つ山です。「斜平三度の雪かぶり」が米沢盆地に冬の到来を告げるといわれています。
 私が住み家としたのが、その名を持つアパートでした。私が生れた昭和42年に建てられたと聞いています。現在のアパートとは比較にならないと思いますが、古風な匂いの○○寮といった風貌でした。木造モルタル2階建て、便所・風呂台所共同、玄関の奥に食堂室がありました。以前は職員・院生・学生の民間寮になっていたそうです。     

 当時の住人は、エンジニアを目指す機械人・エネルギー改革を志す電気男・テレビの明かりで食事をする金金留学生・有機化学を信仰する高分子組、摩擦の謎を解明したい大学院生など個性溢れる工学心旺盛な学生の集まりでした。バイクが流行した頃でもあり、ブリジストンの55ccのバイクを解体屋から350円で購入し住人全員が各部品の修理を担当、無い部品は機械工場で制作し、走れるようにして高額でマニアに譲った事もありました。留学生の方々との交流では、国の料理を囲んで大宴会など、カタコトの中国語、英語を訳が分らんまま話し込んでいたこともあります。寮(アパート)長の号令で清掃作業したり、アパートの修理をしたり自立した自治会を作っていました。

 こんなのは、何処の誰にでも当て嵌まるものなのかもしれません。が、しかし、運命共同体、家族のような生活を送ってきた私には、他とは比較にならないものなのかもしれません。「いってきます。」「ただいま。」「お帰り。」「今日は一緒に納豆か。」兄弟と呼べるような家族の存在は、個室とう壁の隔たりを無くしていたように思います。「卒業以外出て行く人、誰もいないんですね。」とよく言われました。おおらかで、時を刻むのが少しだけ遅いそんな空間が、存在していたようにおもいます。各部屋に鍵がかからなかった、私も部屋に鍵をかけた記憶がありません。四畳半の部屋に集い、学問を肴に酒を酌み交わし、未来が工学によって変わっていく事を想像しながら夜長を楽しみ語った記憶はつい最近のようです。

 大家の稲毛さんは家賃滞納に優しく、遅れたら遅れた分の即席めんを下さいました。何度命を拾ったことか。熱い心はあっても、お金の無い我々にとって本当に有難い差し入れだったと感謝しています。「なでら」にはそんな環境があり、工学を志す学生の中でも一握にも満たない者が暮らし、社会に羽ばたいていきました。

 我々の宿り木は、平成元年12月17日未明に歴史を閉じてしまいました。記憶に留めている方もいらっしゃるのではと思います。午前3時の消防車のサイレン、けたたましく唸る炎、記憶や歴史を天に持っていくかのように、渦巻く高い火柱により全焼いたしました。ただ、絆の強い住民は、誰一人欠ける事無く無事でした。

会田 浩昭(あいた ひろあき)
(高分子材料工学科1989年度卒業)
山形県立米沢工業高校 環境工学科 化学専攻 代表

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