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粟野宏
福島〜米沢の山越えのあゆみ
今月の話題(2009年98)


 藤沢周平の小説『漆の実のみのる国』に、米沢藩主上杉治憲(のちの鷹山)が米沢への初入部の旅で、板谷の宿で前夜をすごす場面が描かれています。藤沢が描くところによれば、治憲は板谷宿で吹雪の洗礼を受けるのです。ときは明和6年(1769)、10月19日(旧暦)に江戸をたち、7日後の26日に板谷宿に入り、翌27日に板谷峠を越えて米沢に入城しています(これは史実です)。治憲が板谷宿に入ったこの年の10月26日は、現代のグレゴリオ暦では11月23日にあたるそうです。
 さて、戦国時代後期の天文17年(1548)9月、伊達晴宗(政宗の祖父)は伊達家の家督を継ぎ、翌年までに居城を米沢に移します。江戸時代の米沢藩主が参勤交代で通った板谷峠は、伊達氏が米沢に移ったときにひらかれました。それまでの人びとは、また伊達政宗なども、鉢森山をはさんで板谷峠とは反対側(北側)の明神峠を通ったということです(阿部公一「栗子隧道・建設工事史」『トンネルと地下』第40巻、441ページ、2009年)。
 時代は下って明治期、1871年(明治4)の廃藩置県、1876年(明治9)の統一山形県の成立をへて、初代県令三島通庸によって1880年(明治14)「万世大路」がひらかれます。脊梁山脈の栗子山付近、標高約880メートルの位置に、着工時には日本で最長の延長876メートルの「栗子隧道」がつくられました。これは、当時のトンネル掘削技術を駆使して、日本人技術者たちが自力でつくったトンネルとして、日本土木史において特筆すべき土木遺産です。
ところが、時代の皮肉というべきか、万世大路は20年足らずで廃道同然になってしまいます。1899年(明治32)に奥羽線の福島〜米沢間が開通し、この地域ではじめての近代的な動力による強力な輸送力の前に、万世大路は無用のものとなったのでした。万世大路が復活するのは、自動車交通が普及しはじめた昭和初期です。1933年(昭和8)から1936年(昭和11)にかけて、いわゆる「昭和の大改修」が行われ、栗子隧道も拡幅掘削が行われました。改修された万世大路は、現在の国道13号線「栗子ハイウェー」が開通する1966年(昭和41)まで利用されました。さらに現在、東北中央自動車道が、2016年の開通をめざして建設工事中であることは、ご存じのとおりです。奥羽山脈を貫く栗子トンネルは、延長8975メートルで、道路トンネルとしては日本で第4位の長さとなるそうです(阿部、前掲論文)。
 以上の山越えのあゆみをまとめると、次のようになります。
 @明神峠、標高約850メートル
 A板谷街道と板谷峠、標高約750メートル
 B万世大路と栗子隧道、標高約880メートル
 C奥羽本線と板谷峠隧道、標高約620メートル
 D栗子ハイウェーと東・西栗子トンネル、標高それぞれ約530メートル・約600メートル
 E東北中央自動車道と栗子トンネル、標高約400メートル
山越えの標高は、しだいに低くなっていくのがわかります。高度をあまり上げずに長大トンネルを使うようになると、標題に書いた「山越え」は、もはや「山くぐり」と書くのが適当かもしれません。
図

 山形大学工学部の前身である米沢高等工業学校が創立されたのは、1910年(明治43)ですが、それは万世大路の開通から30年、奥羽線の開通から11年たった時期です。近代的なインフラ整備が進み、米沢が工業都市としてあゆみはじめる時期だといってよいでしょう。日本は「富国強兵」のスローガンのもとで、日清戦争と日露戦争を進めながら、「列強」入りをめざしていた時期でもあります。台湾はすでに日本の植民地となり、「日韓併合」により朝鮮半島が日本の植民地となったのも、また1910年であったことは忘れてはならないでしょう。
 私が福島〜米沢の山越えのあゆみを500年スケールで眺めようとしたのは、10年前の奥羽線開通100周年前後のころからなのですが、昨年11月に山形県(置賜総合支庁)と土木学会などがタイアップして、「土木遺産シンポジウム2008 in 置賜」が開かれたことがきっかけでもあります。
 このシンポジウムに参加した縁で、この夏は万世大路を歩き、栗子隧道の坑口と44年ぶりで“再会”する機会に恵まれました。米沢側の西坑口は、「昭和の大改修」のさいにすぐそばに新たに坑口がつくられたため、明治の坑口がそのまま残っています。トンネル内部は崩落が著しく、通行することはできませんので、標高差約200メートルの急勾配の峰を2時間ほどかけて越えました。道なき道ですので、トンネルの有り難みを痛感させられました。

写真 栗子隧道西坑口

 最後に、栗子隧道が今年2月に経済産業省の「近代化産業遺産」の認定を受けたことに触れておきましょう。経済産業省は、2007年11月に「近代化産業遺産 33のストーリー」をまとめ、約450箇所の遺産を認定したのにつづき、2009年2月には「近代化産業遺産 続33のストーリー」をまとめ、約540箇所の遺産を認定しました。後者のなかには、山形県内26箇所の遺産が含まれていますが、米沢市内ではのべ4箇所(実数では3箇所)の遺産が認定を受けています(表)。万世大路の開通、奥羽線の開通、米沢高等工業学校の創立は、まさしく米沢の近代化のエポックにほかならないことがわかります。

表

粟野 宏(あわの ひろし)
大学院理工学研究科 助教 (有機デバイス工学分野)
附属博物館 学芸研究員 (工学分野)

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