山形大学

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松田則男
山形大学駅伝競走大会
(2009年11月)

 半ば色あせた,一枚の写真がある。37年前,昭和47年10月15日,第14回山形大学駅伝競走大会に出場した米沢キャンパスの2チーム(工学部チーム,大学院チーム)が一緒に撮った記念写真である。米沢〜山形間の駅伝大会が終了し,その日の午後小白川キャンパスのグラウンドで撮影された。 

山形大学駅伝競走大会は,今から50年前の昭和34年に,山形大学の開学10周年の記念行事として,開学記念日の10月15日に開催されたのが最初で,平成21年で49回を数えた。当初は工学部の米沢キャンパスから山形市の小白川キャンパスまで,距離およそ50キロのコースで実施され,それは昭和51年まで続いた。昭和52年から,交通事情により山形県陸上競技場〜左沢折返しのコースに変更され,さらに昭和63年は山形女子短期大学グランド〜山辺町根際折返しのコースに変更して実施されたが,平成元年〜2年はやむなく中止された。2年のブランクの後,平成3年からは,小白川キャンパス構内周回コースを設定して再開され,今日に至っている。

第14回山形大学駅伝競走大会に出場した米沢キャンパスの2チーム(工学部チーム,大学院チーム)

 昭和47年,私は大学院精密工学専攻の1年生であったが,どのような経緯で大学院チームの選手に選ばれたかは定かでない。スポーツとは殆ど縁のない私が,第一走者として工学部から米沢市窪田までの約6.6キロを走ったのであった。他のチームも含めて,私を除く選手の方々は皆スポーツ系の部活で活躍されていたと思う。結果は推して知るべし,である。出場したチーム数は不明であるが,小白川キャンパスゴール時の成績は,工学部チームは第2位,我が大学院チームは後ろから2番目であったと聞く。

  写真撮影の後,黄昏の山形市内でチームの慰労会が行われた。場所は七日町のおでん屋さん「ふくろ」と記憶している。カウンターにずらり並んで座り,おでんとおにぎりを食べながら,楽しいひとときを過ごしたことを覚えている。このときのメンバーは,現在どこにおられるのだろうか。多くの方々は定年の時期にさしかかっていると思われるのだが。 小白川キャンパス構内周回コース

 付図は現在の小白川キャンパス構内周回コースを示し,男子は9周約17.0km,女子は5周約9.0kmで競争を行っている。手元にある平成6年からの記録によると,平成12年まで参加は例年10チーム程度(内,女子は1〜3チーム)である。平成13年〜17年は急増し,平成16年度は20チームを超える参加(内,女子は6チーム)があった。ちなみに工学部トライアスロン部は,平成19年に3位,平成20年は4位に入ったと記録にある。

  昭和47年,車の数は今よりずっと少なく,車を所有する学生も殆どいなかった。駅伝では大がかりな交通規制なども行われなかったと記憶している。駅伝のコース一つ見ても,隔世の感がある。山形大学が創立百周年を迎える数十年後も,駅伝は続いているだろうか。工学部のチームはまた活躍しているだろうか。 

 37年前,セピア色の思い出である。

松田 則男(まつだ のりお)
大学院理工学研究科准教授
機械システム工学分野

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