山形大学

画像JNTS

 
トップページ
ごあいさつ
部会委員名簿
今月の話題
百年史部会議事録
資料ダウンロード
リンク
メンバーログイン


平中幸雄
学内ネットワークの整備
(2009年12月)

 100年の中ではずっと最近のことになりますが、私は1989年に工学部赴任後、10年近く、学内ネットワーク構築に関係したので、技術変遷を中心にここに書き留めておきたいと思います。

1988以前
1984年頃から国内先進大学で学内ネットワーク構築が始まり、同時期にJUNETという電話モデムを使った大学・研究機関の間のメール交換も開始され、急速にネットワーク整備気運が高まった。山形大学でも部分的ではあるが、1985年の情報工学科教育用計算機システム導入に合わせて学科のあった8号館廊下にイーサネット(10BASE-5)の同軸を張り巡らし、建物内ネットワークとして運用した。また1987年、2400bps程度の電話モデムを使用して、東京大学との間でUUCPによるUNIX間メール交換を開始し、JUNETに参加した。このとき、担当した出口光一郎先生(現在、東北大学)が山形大学のドメイン名としてyamagata-u.ac.jpを採用し、現在に至っている。「もっと短い名前がよい」という意見もあったが、当時のUNIXシステムでは、各自が自由に短縮した名前に置き換えることができたため、外部の人に分かりやすいことが優先された。

1989-1993
1989年から始まった情報処理センターのシステム更新計画では、イーサネット接続によるクライアントサーバシステムの導入と、キャンパス間接続にリモートブリッジによるイーサネット接続が採用され、1991に運用開始した。このとき、情報工学科のイーサネットと情報処理センターのイーサネットを接続すると同時に、6号館(機械工学科・精密工学科)と7号館(電気工学科・電子工学科)にも同軸イーサネットを張り巡らす計画を立てた。各学科の参加勧誘を情報処理センター米沢分室長だった赤塚孝雄先生(現在、山形県立産業技術短期大学校長)が行ったが、電子メールに始まるネットワークの利用は時代の要請ということを理解されていた方も多く、学科単位での賛同が得られた。私の任務は低コストの構築方法を提案することで、通常は光ケーブルを使用する建物間も低価格の同軸ケーブルで接続する方式とし、落雷対策のアレスタも入れながら、総経費を300万円程度に抑えた。 さらに定時メール交換だけだった学外接続をインターネットプロトコルによる常時接続に切り替えることを目指すことになり、小白川の情報処理センターと東北大学大型計算機センターとの間にアナログ専用線を開設するべく、関係方面へ請願活動を行った。やはり時代の流れで活動は実ったが、接続機器経費は充分ではなく、高エネルギー研究所放出品のワークステーションSUN3をルータに使用し、アナログ専用線機能を持つ一般用電話回線モデムでのSLIP方式接続となった。そのためか、モデムのトラブルが時々発生し、何度か東北大学に電話をかけてリセットしてもらったりした。後に、インターネット接続の効果と必要性の理解が広まり、64kbpsディジタル専用回線を使用し、X.25通信方式の専用ルータ接続へと改善された。

1994-1995
1993年にWWWブラウザが登場し、学術機関でのネットワークの整備が急務となった時期である。山形大学も、国の1993年度補正予算で学内ネットワーク整備を行うことになり、機器納入を含めて1994年秋に完成した。「学内すべての部屋に情報コンセント」を目標に、当時の標準的な方式として、建物間をFDDI光ファイバー方式で100Mbps接続を行い、各部屋までカテゴリー5ツイストペア・イーサネット・ケーブルを引き込むことで10Mbpsの通信を可能にした。キャンパス間と学外接続先の東北大学との間には、セルリレー・フレームリレー多重装置を導入し、計算機データと電話網データを一緒に流すことで、この伝送網で各キャンパスの構内電話交換機を接続、相互に内線通信を可能にするよう計画した。この際、米沢キャンパスでは交換機の更新も行い、交換手操作から自動ダイヤルインに切り替えた。 このとき、ネットワーク活用・展開への足がかりにしようと、予算の許す限り様々な機器を導入した。例えば、キャンパス間テレビ会議装置、リモート講義室、建物ごとにメールサーバなどに使えるUNIXマシンやテレビ会議機能を持つPCを設置して、利用環境の整備にも努めた。また、ネットワーク運用体制を固めるため、各学部から運用委員を出してもらい、毎月テレビ会議でミーティングを行いながら、運用ルールの策定などを行っていった。



1996-2000
将来の電話会社通信網の主流と目されていたATM通信方式はマルチメディアに適していると考えられ、ネットワーク基盤として展開しようとするATM装置導入が全国的に行われた。山形大学でも、1996年にATM接続装置の導入を行い、建物間は622Mbpsもしくは155Mbpsに、建物内ではポート数に限りがあるが各部屋まで100Mbpsでの通信も可能となった。 このときから私はサポート役に回り、ネットワークの仕様検討などは若手の伊藤彰則先生(現在、東北大学)が中心となった。代わりに、ネットワークを使ったシラバス入力・製版・公開システムの作成を赤塚先生から要請され、ネットワークの利用普及を図るよい機会と考えて引き受けた(ほんとのところ、拒否は困難であった)。それまで、切り貼りもしくは手書き作成だったシラバス原稿を、サーバにデータをおくことで、編集可能、HTML/TeX形式出力可とするものであった。1997年当時は、WWWブラウザの全学教員への普及度が低いと考え、まず電子メールの普及を狙い、メールによる原稿入力とした。当初、研究室の学生諸君に分担してもらってシステムを作成・運用した。後に、若手による新たなシステム構築へ世代交代を狙い、立花和宏先生、奥山澄雄先生、仁科辰夫先生にバトンタッチしたが、全学的なネットワーク活用の先導例にできたと考えている。 この時期、県内教育・研究機関等との相互接続も始まり、鶴岡工業高専専門学校、東北芸術工科大学、山形女子短期大学、テクノポリス財団・工業技術センター・産業技術短期大学校などとつながっていったが、米沢キャンパスからは米沢女子短期大学、さらに研究プロジェクトとしてニューメディア米沢のケーブルテレビインターネット網とも接続し、教職員・学生が自宅から大学へアクセスするときの環境も用意することができた。

2001以降
2001年に、3回目の大規模な全学ネットワークの整備が行われ、キャンパス間は光ファイバーを借りての1Gbps接続、キャンパス内建物間も1Gbps接続、すべての情報コンセントが100Mbps利用可能になり、ファイヤーウォールの導入やワイヤレスLANの整備も行われた。この頃から私は単なるユーザの一人であるが、建物内の配線には、今も1994年敷設の配線が使われていて、まだしばらくは、私の仕事が役に立っていることを実感できそうである。ネットワーク構築では、現場確認などのためあちこちに出かけたが、各キャンパスの関係者、他大学の関係者と人間的なつながりもでき、忙しいがやりがいのある時を過ごせた。今も、若手の先生方が、情報ネットワークを支える人間ネットワークを構築している。 私の関与したネットワーク機器類はほとんどが更新されたが、廃棄されるのが惜しくて、主な装置を1台ずつ研究室で保管し、研究室のホームページにも「ネットワーク機器博物館」として掲載している(eatz.yz.yamagata-u.ac.jp/hakubutukan/nethaku.htm)。興味のある方はご覧いただきたい。

平中 幸雄(ひらなか ゆきお)
理工学研究科情報科学分野 教授

当サイト内に掲載の記事・写真・資料・データ等の無断転載・無断複製を禁止します.
Copyright (C) Yamagata University. Faculty of Engineering. All rights reserved.