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横山道夫
産業の米沢
(2010年3月)


  半導体は「産業の米」と言われます。代表的な半導体であるシリコンはクラーク数(※1)で2番目に多い元素ですから、まさに身近に豊富に産出され且つ欠かせない存在=「米」だという訳です。私自身、半導体に関する仕事に携わってきました。米という字は八十八。そこで、88に関連する米沢の歴史・産業と私の研究について述べてみたいと思います。(※注1:地球上の地表付近に存在する元素の割合)

嚶鳴館遺稿と石碑“吉田松陰旅宿の地”

 この写真は、嚶鳴館遺稿と石碑“吉田松陰旅宿の地”です。 数年前、母校米沢興譲館高校にて出張講義を行う機会があり、その時に史料室を見学させていただいた際に撮影しました。また石碑の方は、米沢市内北部地区にあります。石碑を読みますと、吉田松陰は東北遊歴の情やみがたく、1852年通行手形発行が間に合わないにもかかわらず脱藩してまでも東北に来たかったのだと書いてあります。米沢歴訪は会津、秋田、津軽など諸藩を巡る目的のひとつだったのですが、凄まじい行動力です。その吉田松陰が萩の子弟を薫陶し、伊藤博文はじめ明治維新の立役者となる志士達を数多く輩出した松下村塾においてお手本にしたというのが、その88年も前、1764年に米沢藩第9代藩主上杉鷹山が師に迎えた細井平洲の、江戸で開いた私塾・嚶鳴館での教え=「嚶鳴館遺草」であります。(※2)(※注2:写真は「嚶鳴館遺稿」で、上杉鷹山が師・細井平洲没後に編纂を命じた漢文体遺稿集、「嚶鳴館遺草」の方は西条藩士上田雄次郎がまとめた和文の遺稿集です)

 この中で細井平洲先生は、美味しいご飯を炊くには、米(人君)・薪(士農工商)・釜(役人)が必要である等と分かり易いたとえで諭していますが、一貫して庶民の役に立つ学問=実学の重要さを力説しており、その教えは弟子である上杉鷹山が窮乏の米沢藩政立て直しに活用し、かたや88年以上の時を経て新しく日本の国を立て直す幕末志士のバイブルにもなった訳です。

  愛と義の智将・直江兼続の功績を受け継ぎながら、鷹山公は師・細井平洲の教えを体現し、窮乏していた藩政の改革を行いました。殖産振興・質素倹約奨励・役人改革・人材育成・藩校興譲館の設立等々。そのひとつに地場産業として米沢織を立ち上げました。この繊維工業が当初の家内工業から明治の近代化による力織機や電動機を備えた本格的な機械制工場の時代へと進展しました。本学の前身・米沢高等工業学校の設立と染織科・機械科・電気科の漸次設置という流れにつながっていると思います。また、本学・秦 逸三先生の人造絹糸開発は大学発ベンチャーの先駆けと言われています。

 さて私はといいますと、本学部電気工学科(※3)において、’88年に熊谷泰爾先生、松下浩一先生の薫陶を受け、卒業研究から半導体に携わってきました。当初はゲルマニウムやガリウム砒素の結晶成長を研究していましたがシリコンへと移り、米粒大のチップに数千万以上のトランジスタが集積される事に感動しつつ、トランジスタ回路を設計しシリコンウエハを加工して実際にトランジスタを作製してきました。(※注3:本校電気科の設立は、大正十一年(1922年)で今から88年前)

作製したシリコンMOSトランジスタ拡大  嚶鳴とは雌雄の鳥が互いに鳴き交わす事から転じて「朋友が互いに切磋琢磨して学問に励む」の意であり、興譲とは譲る(他に仁や徳を差し出す)という徳を興す=恭遜の道を修行する事であります。この嚶鳴と興譲の精神を自身肝に銘じながら、連綿と育まれてきた産学連携の伝統、「ものづくり」の精神を引き継いで、学生諸君と日々議論を鳴き交わしつつ、実験研究にハッパをかけながら、産学連携による役に立つものづくり・半導体システム開発に一層邁進する所存であります。


横山 道央(よこやま みちお)
応用生命システム工学科
応用システム制御工学講座
准教授

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