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三角太郎
米沢高等工業学校の図書館
今月の話題(2011年2月)


  図書館という組織は本質的に歴史を背負っているところがある。 実験装置などと比べて、図書の寿命は圧倒的長く、財務会計的には減価償却もない。 原理的には米沢高等工業学校時代の蔵書も、 みな、現在の山形大学工学部図書館に継承されていることになっている (そうは言っても、物理学的には、形あるものが滅びないなんてことはありえないが・・)。 工学部の100年の歴史の大半は、紙媒体が学術情報のメディアの中心であったし、 そしてそれを集積してきたのが図書館だった。図書館に来ないと情報へアクセスができない、 という時代が長く続いてきた。このところのオンラインの資料の趨勢で、相対的に施設としての 図書館の研究・教育上の必要度はさがってきている。だが、電子ジャーナルが本格的に普及しはじめて十年、 電子書籍にいたっては、本格的な普及がはじまったのは昨年のことでしかない。

工学部の図書館の歴史を施設という面から見ると
  1. 明治43年 米沢高等工業学校図書課として設置
  2. 大正2年 書庫2階建24坪、閲覧室25坪、事務室9坪を竣工
  3. 昭和39年 山形大学工学部創立50周年記念図書館建築竣工
    鉄筋コンクリート2階建755平米、書庫430平米(総面積1185平米)
  4. 昭和42年 演習室兼教室として3階増築(311平米)
  5. 昭和62年 情報処理センター米沢分室併設による増築(632平米)
    (総面積2259平米)
  6. 平成12年 増築(鉄筋コンクリート3階建1843平米)及び改修(650平米)
    (総面積4102平米)
である。2. の書庫はその後約90年間、今から約十年前の6)の平成12年の増改築まで残っていた。 現在の図書館の裏手にあった煉瓦造り二階建て、観光地であったらカフェかビアホールにでも改装したら良さそうな、 大正浪漫風情の建物を記憶している方、まだまだ多いと思う(図1 旧書庫)。
図1:旧書庫
ぼくは、山形大に来てまだ三年なので残念ながら見たことがないが、当時を知る図書館のスタッフによると、利用度の低い資料の保管に最後まで使っていたそうだ。

  図書館の建物ができたのは大正二年だが、明治43年の開校時に、既に事務組織はできていて、 「図書課」(当時は、「図」でなく旧字を使っているが、表記の都合で旧字体は、新字体に変換して引用する)が設置された。 当時の事務組織は、庶務課、教務課、生徒課、会計課、図書課とあったようだ。それぞれの課長は、教員だったり事務官だったりいろいろだが、 図書課の課長は教員で、英語の教員でもあった辻村鑑教授である。辻村は、50周年記念誌のなかで、開校準備について、少し触れている。

   板谷峠がその暴風雨のお陰で崩壊して赤岩のトンネルが打つぶれた
  と云う報告であった。サア大変、米沢では買求め難いと云うので、
  連日神田の古本屋を回り歩いて買集めた書物、これは最初の一冊か
  らはじめてやっと纏まった数百冊、ほんとうに毎日の汗油の結晶で
  ある。これを送らにゃならぬ。ホンニどうしよウ(山形大学工学部50年史p.133)


図2:図書教官室 第四回記念写真帳より

  建設当時の地図を見ると、講堂と繋がっていた(図3:校内図)。 講堂だけでなく、すべての建物が廊下で繋がっていて、雪深い米沢でも、外に出なくとも図書館へでも、どの建物へでも行けるように工夫されていたようである。
  なお、ここまで図書館と呼んできたが、実は、開校当時に図書館と呼んでいたのかどうかよくわからない。 地図では閲覧室、書庫としか記されていないし、規則類でも図書館という名称は見当たらない。であるが、本稿では「図書館」と呼ぶことにする。
  米澤高等工業学校一覧では、大正2年版から蔵書数の記載がある。これによると

【図書類別表】 大正二年六月三十日現在、 
洋書
買入 1391冊 78軸
寄付 265冊
和漢書
買入 1098冊 15枚 30軸
寄付  269冊  2軸

とある。やはり洋書のほうが和漢書よりも多いが、でも、思っていたほどには差がない。これが明治中頃だったら、洋書のほうが圧倒的に多かっただろうが、明治も末になると邦文の書籍もそれなりに増えてきていたということだろうか? それについては、当時の蔵書目録を精査してみないといけないのだが、さらっと見た印象では、まだまだ和書は初等的な教科書や一般教養書が中心で、 洋書のほうが専門性が高そうには見える。 特筆しておくべきは、寄付である。スタート時点での蔵書は2割が寄付によるものであり、そしてこの大半は、初代校長の大竹によるものである。 一覧の同じ号に寄贈者名があり、初代校長の大竹多気が、洋書258冊、和漢書108冊を寄贈したことになっている。大竹多気は雑誌も大量に寄贈していて

【雑誌統計表】
洋之部
買入 1333冊
寄付 294冊
和之部
買入 184冊
寄付 2467冊

であるが、大竹寄贈が洋280冊、和1052冊であり、図書館の立ち上げにあたって、大竹多気校長の寄与は極めて大きなものであったことがわかる。
  旧米澤工業高等学校の蔵書は、現在も山形大工学部図書館で継承していて、主に書庫の5Fに配架している(図4:現書庫5F)。 図4:現書庫5F

昨秋の大竹多気展では、大竹多気寄贈の図書の一部も展示したが、なぜ一部かと言うと、多気寄贈の図書の数が多すぎてピックアップしきれなかったからである。

  図書館に関する規則は、明治44年の一覧から掲載されていて(つまり建物ができる前から規則は整備されていたことになる)

第七章 図書、標本、器具及機械
第一条 本校所有ノ図書ハ之ヲ書庫ニ蔵ス
第二条 書庫ニハ他ノ委託ニ係ワル図書ヲ保管スルコトアルヘシ
第三条 教授上及事務上特ニ必要ノ図書ハ学校長ノ許可ヲ得テ特別ノ場所二備エ置クコトヲ得
第四条 職員ハ別ニ定ムル規定ニヨリ本校所蔵ノ図書ヲ借受クルコトヲ得
第五条 図書ヲ閲覧スルコトヲ得ルモノハ職員生徒及第二条ノ図書委託者其ノ他学校長ノ特許ヲ得タルモノニ限ル
第六条 本校所定ノ規則二違反シ又ハ其ノ他不都合ノ行為アルモノハ図書ノ閲覧ヲ停止スルコトアルヘシ
(注 表記の都合で、旧字体は新字体に変えて引用した) 

 学校規則違反のペナルティが図書館利用停止になっているあたりに、当時の図書館利用の切実さがうかがえる。それはともかくとして、読んで首を傾げたのは「委託図書って何だ?」。同じ一覧を見ていくと、図書取扱規定の他に、委託図書取扱規定もあった。 

第十二章 委託図書取扱規定
第一条 閲覧二供スル目的ヲ以テ一箇年以上本校図書館二図書ノ保管ヲ委託セントスルモノハ其ノ書目、著者、価格及頁数等ヲ詳記シ学校長ノ許諾ヲ経ヘシ
(中略)
第四条 委託図書ハ本校所蔵ノ図書ト同一ノ取扱ヲナス但シ本校ノ図書ニ関スル規則規定ニ差支ナキ限リニ於テ委託者ノ希望ヲ容ルルコトアルヘシ
(後略)


寄贈まではしないにしても、これという図書を図書館に預けて、それをみんなに読んでもらうシステム・・・なのだろうか?もしかすると規定をわざわざ設けるぐらいだから、当時はその委託にかなり頼っていたのかもしれない、と思いはじめた。大竹は蔵書を寄贈したから記録として残ったが、他にも教員が自分の蔵書を図書館に提供している例は多かったのかもしれないし、それはありそうな話だ。だがさて、その実態をどう調べたものか・・・図書館のなかの資料をあさったけれど、委託図書の目録は見当たらなかった。当時の会議録を追えば、何かでてくるだろうか?

  埃っぽい書庫で、昔々のカビ臭い資料を眺めるのは、これはこれで結構楽しい。電子ジャーナルや電子書籍のスピード重視の世界にはない、ゆったりとした時の流れがそこにはある。

   米沢工業高等学校の卒業アルバムから
応用化学図書標本室(第一回卒業記念帳)
図書閲覧室(第四回記念写真帳図書閲覧室)
応用化学科図書室.(第14回卒業記念帳)


三角 太郎(みすみ たろう)
工学部事務ユニット図書情報チーム

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